THE text of the present edition is copied from that of the fifth, the last published before Adam Smith's death.
現在の版の文章は、アダム・スミスの死の直前に出版された第五版の文章を複写したものです。
The fifth edition has been carefully collated with the first, and wherever the two were found to disagree the history of the alteration has been traced through the intermediate editions.
第五版は、第一版と厳密に照合され、二つの版が異なる場合には、変更の経緯が途中の版を通じて補足されました。
With some half-dozen utterly insignificant exceptions such as a change of "these" to "those, "towards" to "toward." and several haphazard substitutions of *conveniences" for "conveniencies," the results of this collation are all recorded in the footnotes, unless the difference between the editions is quite obviously and undoubtedly the consequence of mere misprints, such as "is" for “it," "that" for "than." "becase" for "because."
いくつかの半ダースのまったく些細な例外、例えば "these" を "those" に変更すること、"towards" を "toward" に変更すること、そして "conveniencies" のいくつかのでたらめな置き換えに conveniences を使うことを除いて、この整理の結果はすべて脚注に記録されています。ただし、版の違いが明らかに印刷ミスの結果である場合、例えば "is" の代わりに "it"、"that" の代わりに "than"、"becase" の代わりに "because" など、脚注には記録されません。
Even undoubted misprints are recorded if, as often happens, they make a plausible misreading which has been copied in modern texts, or if they present any other feature of interest.
明らかな誤字でさえ、現代の文章に複写されている、または他の興味深い特徴がある場合には、記載されます。
As it does not seem desirable to dress up an eighteenth century classic entirely in twentieth century costume, I have retained the spelling of the fifth edition and steadily refused to attempt to make it consistent with itself.
私は、十八世紀の古典を完全に二十世紀の衣装で飾ることは望ましくないと考えているため、第五版の綴りをそのまま残し、一貫性を持たせようとすることは絶えす拒否し続けました。
Since it is not desirable to completely modernize an eighteenth-century classic, I have kept the spelling of the fifth edition intact and consistently refused to make it internally consistent.
私は、第十八世紀の古典を完全に二十世紀の文章で飾ることは望ましくないと考えているため、第五版の綴りをそのままに残し、内部の一貫性を持たせることを拒否し続けています。
The danger which would be incurred by doing so may be shown by the example of "Cromwel."
そうすることの危険性は、"Cromwel"の例でわかるかもしれません。
Few modern readers would hesitate to condemn this as a misprint, but it is, as a matter of fact, the spelling affected by Hume in his History, and was doubtless adopted from him by Adam Smith, though in the second of the two places where the name is mentioned inadvertence or the obstinacy of the printers allowed the usual "Cromwell" to appear till the fourth edition was reached.
現代の多くの読者は、これを誤植として非難することにためらいはないでしょうが、実際のところ、これはヒュームが彼の『歴史』で使用した綴りであり、おそらくアダム・スミスが彼から採用したものです。しかし、その名前が言及される二箇所のうちの二番目では、不注意または印刷業者の頑固さにより、通常の「Cromwell」が第四版まで表示されることが許されました。
<aside> 💡 Humeの『History』は彼の最も有名な著書の一つであり、政治や歴史に関する重要な論文です。この著書は、イギリスの歴史を中心に、政治や社会の変化について詳細に分析しています。Humeは、自身の研究と分析に基づいて、当時の政治的な出来事や人物について詳細に説明しています。『History』は、その時代の歴史を理解するための貴重な資料として広く評価されています。
『History』において、クロムウェルは複雑な評価を受けています。彼は17世紀のイギリスの政治家であり、イングランド内戦の指導者としても知られています。
Humeは、クロムウェルの政治的な手腕と軍事的な才能を高く評価しています。彼はクロムウェルのリーダーシップによって、王政派との戦争に勝利し、共和制を確立することに貢献したと考えています。また、Humeはクロムウェルの経済政策や外交政策にも一定の称賛を与えています。
しかし、Humeはクロムウェルの手法や行動にも批判的な側面を見出しています。彼はクロムウェルの権力集中や宗教的な弾圧を問題視し、彼の統治を「専制的」と評価しています。また、Humeはクロムウェルの死後、イングランドが王政復古を果たしたことを肯定的に評価しています。
したがって、Humeの『History』では、クロムウェルがイギリスの歴史において重要な役割を果たしたことは認められていますが、その評価は賛否両論となっています。
Humeは、CromwellをCromwelと書いた理由について触れていませんが、テキストによれば、Humeの『History』でCromwelという綴りが使用されていたことが示されています。Humeがこの綴りを選んだ具体的な理由は不明ですが、おそらく彼自身の研究や分析に基づいて、この綴りを採用したのだと考えられます。また、この綴りはアダム・スミスによっても採用された可能性があります。
ただし、Cromwellの名前が言及される2つの場所のうちの2番目では、不注意または印刷業者の頑固さにより、通常の「Cromwell」が表示されていたことも指摘されています。このことからも、HumeがCromwelという綴りを使用することに固執した理由は、明確ではないことがわかります。
</aside>
I have been equally rigid in following the original in the matter of the use of capitals and italics, except that in deference to modern fashion I have allowed the initial words of paragraphs to appear in small letters instead of capitals, the chapter headings to be printed in capitals instead of italics, and the abbreviation "Chap." to be replaced by "Chapter" in full.
私は大文字と斜体の使用に関して、原本に従うことについても同じく頑固でしたが、現代の流行に敬意を表して、段落の最初の単語は大文字ではなく小文字で表示されるようにし、章の見出しは斜体の代わりに大文字で印刷され、略語の「Chap.」は「Chapter」とフルで置き換えることを許しました。
I have also allowed each chapter to begin on a fresh page, as the old practice of beginning a new chapter below the end of the preceding one is inconvenient to a student who desires to use the book for reference.
また、各章が新しいページから始まるようにもしています。前の章の終わりの下で新しい章を始めるという昔のやり方は、この本を参照として使いたい学生にとって不便だからです。
In writing a marginal summary for the text I have felt like an architect commissioned to place a new building alongside some ancient masterpiece: I have endeavoured to avoid on the one hand an impertinent adoption of Smith's words and style, and on the other an obtrusively modern phraseology which might contrast unpleasantly with the text.
文章のマージナル・サマリーを書く際に、私は古代の傑作品と共に新しい建物を配置するように依頼された建築家のような気分でした。
一方で、無礼にもスミスの言葉やスタイルを使用することを避け、また、テキストと衝突する可能性のある過度に現代的なフレーズの使用を避けるように努めました。